八碁連だより389号(3月号)

千年の歴史・鳥栖観音 & 萩寺になった長福寺

日本棋院 普及指導員  倉内  満

 22年前、川口町のダイヤタウンという分譲住宅に移り住みました。ダイヤタウンの北側の一角に鳥栖公園という名前の公園が有りました。この辺は川口町の中部になり、市役所の事務所、小学校、中学校、農協、駐在所などが集まっています。
 また少し離れた周辺には時宗河口山法蓮寺、真言宗鳥栖山長福寺や日枝神社、八幡神社、熊野神社などが点在しています。前述の鳥栖公園には何か歴史的な因縁があるのではと好奇心が湧いてきました。「萩寺」の名で知られる鳥栖山長福寺の裏山に観音堂の甍(いらか)がそびえて見えます。 
 この観音は、火防の観音として、古来、人々の尊崇する所でありました。 
 この本尊千手観音立像は、行基の作と伝えられ、木造像高110センチ、金色の光背、蓮華座を含めると185センチの大きさで厨子の中に安置されています。
 その昔、上川町黒沢のゴルフ場の近く御堂山にあったのが、火災にあった時、本尊は東の山中現川口町字鳥ノ栖に逃れ焼失を免れたといいます。この本尊は千年の歴史を秘めて火災から逃げていることから、火防の観音と 
呼ばれ信仰されてきたものです。
 長福寺は宝生寺鳥栖山観音院長福寺と号し、元来は鳥栖観音堂の別当寺であります。 開山は勝意、中興開山は頼永法印(1679年入寂)と記されております。現在は、真言宗智山派に属し、関東の名刹大本山高尾山薬王院の法類で
あります。 
 先代飯沢智隆和尚は仙台伊達家の縁者で、こよなく仙台萩を愛し、境内に沢山の萩を植え、いつしか長福寺の別名を萩寺と称するようになりました。塔頭に萩の寺(白萩堂)があり、本尊に伊達騒動の殿様伊達綱宗公が作られた聖観音像(子育て観音)、木造、像高40センチが祭られています。