八碁連だより383号(9月号)

川端康成と本因坊秀哉
大和田囲碁同好会会長 成田 滋

「時は過ぎゆくにあらず、われら過ぎ去るなり」といったのは文豪川端康成。「月日は百代の過客にして、古人も多く旅に死せるあり」と綴ったのは松尾芭蕉です。 
私は文学に登場する「時」と「死」と「碁」の世界を調べていくうちに新潮社版の
「名人」という小説に出会いました。「名人」とは第二十一世本因坊秀哉のことです。
「過ぎ去る」人物の主人公はこの人です。川端は東京日日新聞、現在の毎日新聞から1938年に開催された名人の引退碁の観戦記を依頼されます。この観戦記を1942年に
小説風に書き改めたのが「名人」です。
小説に登場する名人の相手は「大竹七段」で、この引退碁での実際の相手は木谷實七段です。この時、本因坊秀哉は64歳、木谷は29歳、川端は40歳でした。
川端にとって碁は「遊び」であるゆえに、人間の純粋な行為であり、無意味であり、人生を象徴するというのです。碁は抽象性、非功利性がはっきりしていて文学もほぼ似たようなものであるというのです。非常に難しいレトリックです。
「遊び」の本質とは「自由な活動」で「隔離された行動」、そして「非生産的な活動」と書いたのはフランスの思想家ロジェ・カイヨワです。碁はカイヨワの指摘する遊びの要件をすべて満たしています。
カイヨワが「遊びと人間」という本を出版したのは1958年ですが、川端はそれ以前に小説「名人」を書いています。若い時から碁に親しみ、文壇の囲碁仲間内でも「打ち手」として知られていた川端は、とりわけ本因坊秀哉を「敬尊」していたと自らが書いています。
名人には、敗着そのものへのこだわりは薄く、勝負には負けても「芸術としての棋面」を創ろうとしたその姿勢に「精神の高雅さ」を見るというのです。